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東京高等裁判所 昭和31年(ネ)1261号 判決

控訴人(原告) 高橋覚義 外三名

被控訴人(被告) 茨城県知事

補助参加人 石井庄之介 外一名

最高裁判所昭和二九年(オ)第三一七号(昭和三一年六月一日第二小法廷判決、最高裁判所民事判例集一〇巻六号五九三頁)により差し戻された事件

主文

原判決を取り消す。

被控訴人が控訴人等に対しそれぞれ茨城丁第七五八五三号ないし第七五八五六号の売渡通知書によつてなした農地売渡処分につき昭和二十六年三月十九日附書面を以てなした取消処分を取り消す。

訴訟費用は第一、二審、差戻前の第二審及び上告審を通じ、補助参加によつて生じたものは補助参加人両名の負担、その他のものは被控訴人の負担とする。

事実

控訴人等訴訟代理人は、主文第一、二項と同旨及び訴訟費用は第二、二審とも被控訴人の負担とするとの判決を求め、被控訴人訴訟代理人は控訴棄却の判決を求めた。

控訴人等訴訟代理人は請求の原因として、

被控訴人知事は茨城県東茨城郡白河村農地委員会が旧自作農創設特別措置法の規定により控訴人等を売渡の相手方として定めた農地売渡計画に基き同村大字世楽字前山六百九十二番の五畑一反五畝につき控訴人高橋覚義を、同番の六畑一反五畝につき控訴人山田秋義を、同番の七畑二反四畝二十九歩につき控訴人八文字健三を、同番の四畑一反五畝につき控訴人八文字せつをそれぞれ売渡の相手方とし、いずれも売渡の時期を昭和二十三年七月二日とする売渡通知書四通(控訴人せつ、同覚義、同秋義、同健三の順序にそれぞれ茨城丁第七五八五三号から第七五八五六まで)を同年七月中に各控訴人に対して交付したので、右売渡処分により各控訴人はそれぞれ右売渡通知書記載の農地の所有権をその売渡の時期において取得した。しかるに被控訴人知事は控訴人等に対し昭和二十六年三月十九日付通知書に「東茨城郡白河村農地委員会の左記(前記売渡通知書記載の土地の所在、地番、地目及び面積と同一)農地に係る昭和二十三年七月二日付売渡計画については、自作農創設特別措置法施行令第十七条第一項第一号の規定に反するものであることが判明したため、昭和二十六年一月十日付をもつて当該売渡計画についての茨城県農地委員会の承認が取り消されたので、同売渡計画に基いて貴殿に交付した売渡通知書はこれを取消し、失効させたから通知する。」と記載してこれを同月二十八日各控訴人に交付し、よつて前記各農地売渡通知処分を取り消した、しかしながら、前記農地売渡通知処分にはなんらこれを取り消すべき違法の事由がないから、被控訴人知事の右取消処分は違法である。のみならず、右取消処分の通知書には、売渡通知処分の前提手続である白河村農地委員会の農地売渡計画に対する茨城県農地委員会の承認が昭和二十六年一月十日取り消されたことを取消の理由として記載しているけれども、同委員会は昭和二十五年十一月十日旧農地調整法第十五条ノ三十の規定による農林大臣の命令によつて解散し、同年十二月二十五日農地委員の選挙を終り、昭和二十六年一月三十日第一回の農地委員会が招集されるまで会議を開いたことがないから、昭和二十六年一月十日当時農地売渡計画の承認を取り消すようなことはあり得ないことであり、かような理由による被控訴人知事の前記取消処分は違法である。よつて右違法な取消処分の取消を求めるため本訴に及ぶと陳述し、

被控訴人及び参加人の答弁に対し、

本件農地が旧自作農創設特別措置法第三条第一項の規定により不在地主木名瀬清之介から買収されたものであること及びその買収の時期が昭和二十三年三月二日であつたことは認めるが、参加人石井庄之介が右買収の時期において右農地につき耕作の業務を営んでいたこと及び参加人石井庄之介を売渡の相手方とする農地売渡計画の定められたことは否認する。同人は当時右農地について耕作権を放棄し、耕作をしないつもりで自作農創設特別措置法第十七条の規定による買受の申込をしなかつたから、同法施行令第十七条に規定する第一順位の売渡の相手方たる資格はなく、同農地については同令第十八条第一号に規定する小作農もなかつたので、同条第二号の規定により、白河村農地委員会が自作農として農業に精進する見込のある者と認めた控訴人等が売渡の相手方と定められそれぞれ右農地の売渡を受けたものである。控訴人高橋覚義は終戦後肩書地に疎開して現在は中流の農家であり、控訴人八文字健三は祖先以来肩書地に住んでいる中堅農家であり、控訴人八文字せつは元は地主であつたが農地開放後は自己の保有農地を耕作するようになつたものであり、控訴人山田秋義は終戦後肩書地に疎開して日雇や左官の手伝等をなし、本件農地が石井庄之介等により立入禁止の仮処分を受けたので、横浜市に行き料理業に関係しているが本件農地の耕作を放棄したものではなく帰村の心組である。右のようなわけで、控訴人等はいずれも自作農として農業に精進する見込のある者であり、控訴人等に対する農地売渡処分は違法とはいえない。なお被控訴人知事が農林大臣から旧自作農創設特別措置法第四十七条第三項の規定に基き茨城県農地委員の選挙があるまで同委員会の権限中農地売渡計画の承認に関する事務の処理を命ぜられたことは認めるけれども、農地売渡計画の承認を取り消すことは被控訴人知事の命ぜられた右権限中に含まれないから、この点に関する被控訴人の主張も理由がない。

と述べ、

被控訴人及び各補助参加人各訴訟代理人は、答弁として、

被控訴人知事が、昭和二十三年七月中各控訴人に対し控訴人等主張のような売渡通知書を交付してその主張の農地を売渡し、昭和二十六年三月二十八日控訴人等主張のとおり取消通知書を各控訴人等に交付することによつて右売渡処分を取消す旨通知したこと、及び茨城県農地委員会の解散、選挙及び第一回招集に関する控訴人等主張事実はいずれも認める。しかしながら

(イ)  右各売渡処分は次の(1)(2)の理由によつて無効である。すなわち、

(1)  白河村農地委員会は、未だかつて控訴人等を売渡の相手方とする農地売渡計画を定めたことがない。従つて右農地売渡処分は重要な前提手続を欠いた理由で無効である。

(2)  右各農地は、旧自作農創設特別措置法第三条第一項の規定により不在地主訴外木名瀬清之介から昭和二十三年三月二日を買収の時期と定めて政府に買改されたものであるところ、右買収の時期において右農地につき耕作の業務を営んでいた小作農は参加人石井庄之介であつたから、同法第十六条、同法施行令第十七条第一項の規定により、同人が第一須位の売渡の相手方というべきであり、控訴人等は第一順位の売渡の相手とはならない。もつとも石井庄之介は、右買収の時期の後、白河村農地委員会長八文字豊の指示により、誤つて同農地委員会に右農地に対する耕作権を放棄する旨の申立をなし承認を受けた事実があるが、右は錯誤によるものであつたから、石井庄之介はその後農地に侵入して耕作を開始した控訴人山田秋義、同八文字健三、同八文字せつを相手方として水戸地方裁判所に同人等の耕作権の不存在確認並びに農地明渡の請求訴訟を提起した結果、昭和二十五年五月九日石井庄之介勝訴の本案判決があり、これに対しては右相手方等より控訴の申立があつたけれども、控訴審である東京高等裁判所においても昭和二十六年九月十日石井庄之介勝訴の判決が言渡され、昭和二十九年三月十九日右相手方等の上告も最高裁判所において棄却された結果、ここに石井庄之介が右農地の買収の時期においてもその後においてもその耕作権者であり、耕作権を放棄したものでないことが確定判決により明確となつた。右のように右農地につき買収の時期において耕作の業務を営んでいた小作農は石井庄之介であるから、同人が第一順位の売渡の相手方であり、この法定の順位によらないで控訴人等を売渡の相手方と定めた前記農地売渡処分は無効である。

本件売渡処分の取消通知は、売渡処分が右のように無効であることを明らかに趣旨でなされたもあであるから違法でないばかりか、有効な行政処分を右取消通知によつて取消したことにはならないから、右取消通知は権利関係に変動を生ずることなく、従つて抗告訴訟の対象である行政処分にも当らない。

(ロ)  控訴人等主張の期間中茨城県農地委員会の会議が開催されなかつたことは認めるけれども、被控訴人知事は、昭和二十五年十一月二十七日農林大臣から前記法律第四十七条第三項の規定に基き茨城県農地委員会の権限に属する事項を処理することを命ぜられたので、その権限に基いて本件売渡計画の承認を取消す旨の処分をしたものであつて、右承認の取消にはなんらの違法もない。

なお被控訴人知事及び各参加人としては、本件売渡処分が前記(1)(2)のかしがあるため無効であることだけを主張し、仮に右かしが売渡処分の無効原因となる程度に達しないものと判断された場合に、その後約三年を経過した昭和二十六年三月二十八日当時なお行政庁自らこれを取消さなければならないような公益上の必要その他特別の事情があつたことは、仮定的にも主張しない。

被控訴人が原審においてした「本件農地売渡通知書の記載によつては売渡の目的である土地が特定できないから売渡処分は無効である。」との主張及び参加人等が原審においてした「控訴人等の売渡の相手方とする農地売渡計画の茨城県農地委員会による承認は、売渡計画の縦覧期間経過前になされたものであるから違法である。」との主張は、いずれも撤回する。

と述べ、なお、控訴人等訴訟代理人の主張に対し、

参加人石井庄之介が本件農地につき前記法律第十七条の規定による買受の申込をしなかつたことは認めるが、同人が当時右農地につき耕作権を放棄していたこと及び右買受の申込をしなかつたのは耕作をしないつもりであつたからであつたことは否認する。かような事実はなかつたから、同人は右法条による買受の申込をしなかつたにもかかわらず、依然右農地につき第一順位の売渡の相手方たる資格を失わない。控訴人等が白河村農地委員会により自作農として農業に精進する見込のある者と認められていたことは否認する。控訴人等は、本件農地の買収の時期において既に自作農として農業に精進する見込のなかつた者であるから、右農地の売渡を受ける資格がなかつたのであると附加した。

(証拠省略)

理由

被控訴人知事が昭和二十三年七月中各控訴人に対し控訴人等主張のような売渡通知書を交付してその主張の農地を売渡し、昭和二十六年三月二十八日控訴人等主張のような取消通知書を各控訴人等に交付することによつて右各売渡処分を取消す旨通知したことはいずれも当事者間に争がない。

被控訴人等は、右取消通知は、元来無効な処分についてその無効なことを明らかにする趣旨でなされたものであつて、権利関係に変動を生ずるものであるから、取消訴訟の対象とならないと抗争するけれども、訴訟において審判の対象となるのは原告が審判を申立てた事項であり、原告が審判を申立てた事項が何であるかは原告の申立自体によつてのみ定まるものであるところ、本訴においては原告である控訴人等は、被控訴人知事がすでになされた有効な売渡通知処分を後に違法に取消したことによつて控訴人等の法律上の地位に不利益を及ぼしたことを主張し、その取消処分の取消を求めるというのであるから、本件取消訴訟の対象は被控訴人知事がなしたと控訴人等の主張する取消処分であり、被控訴人等主張のような無効通知行為ではない。従つて控訴人等主張の行政処分が真実に存在していたか否か及び該処分が無効であるか否かの点に関係なく控訴人等の請求自体としては、訴訟の目的に欠けるところはない。右取消処分が果して被控訴人等主張のように単なる無効の通知に過ぎず法律上の効果を伴わないものであるか否かは本案の審理を待つてはじめて判明することであり、もし審理の結果それが被控訴人等主張のように法律上の効果を伴わないものであつて取消を求める余地のないことが判明すれば、控訴人等の請求は理由がないものとして棄却されることになる。従つて、その主張自体法律上の効果を伴わないことの明らかな単なる通知等の行為そのものを原告自身が訴訟の対象と主張してその取消を求めるような場合とは異り、本訴の場合は、その目的が取消訴訟の対象に当らないという被控訴人等の本案前の主張は理由がない。

よつて本案についての判断を進める。被控訴人等は、前記売渡通知処分が無効であることの理由として先ずその前提である農地売渡計画の欠除していることを挙げているけれども、成立に争のない甲第一号証によれば、昭和二十六年一月十日附で茨城県農地委員会長名義を以て本件農地の所在する白河村の農地委員会長宛に控訴人等を売渡の相手方とする農地売渡計画の承認を取消す旨の通知がなされていることが認められ、そのこと自体からも控訴人等に対する農地売渡計画の定められていたことが窺われるばかりでなく、右事実と成立に争のない甲第十六号証の一、同第十七号証、丙第十八号証並びに原審及び当審証人八文字豊の証言とを総合すれば、本件農地は、さきに白河村大字世楽字前山六百九十二番の四、地目山林、現況畑、面積六反九畝二十七歩、所有者木名瀬清之介、耕作者石井慶介(この石井慶介は石井庄之介の誤記であることは後記のとおり)と表示してその所有者より買収され、昭和二十三年六月二十八日白河村農地委員会において控訴人等を売渡の相手方とする農地売渡計画が決定され議決されたことが認められる。ただ前顕各証拠によれば当時同委員会では総計二千六百余筆四百六十六町歩余の土地を延数二千六百余人、実数五百四十余人の者に売渡すことを定めなければならなかつたので書類の整理が間に合わなかつたため個人別の売渡計画書は作成せず、売渡実績表、買収関係資料、売渡計画資料、売渡の相手方氏名調その他の関係資料に基いて売渡計画を議決し、各人別の細目的売渡計画書の作成整備は会長に一任したので、控訴人等に対する売渡計画書(甲第十六号証の一の原本)もその後になつて作成されたことが認められるけれども、農地売渡計画を定めるについては各相手方に対する売渡計画の内容が具体的に確定して議決されれば足り、予め各売渡の相手方に対する売渡計画書を作成して議題に供した事実がないとしても、なお売渡計画は成立するものと解せられるから、右議決当時農地売渡計画書という書面が存在していなかつたという理由で右農地売渡計画の存在を否定することはできない。被控訴人等は右農地の売渡計画における売渡の相手方となるべき者は控訴人等ではなく石井庄之介であつたと抗争し、成立に争のない丙第四号証、前示丙第十八号証、真正に成立したものと認める甲第十号証並びに原審及び当審証人野中和郎の証言によれば、本件農地の買収当時買収計画にその耕作者として表示されていた石井慶介は石井庄之介の誤記であり、買収農地は通常の買収計画に耕作者として表示されている者に売渡される例であるところ、これを控訴人等に変更しなければならない特段の事情は白河村農地委員会又は茨城県農地委員会に保管されていた関係書類の上からは明らかにすることができなかつたことが認められるけれども、右石井庄之介を売渡の相手方とする売渡計画書もまた存在しないことは前記第十号証により明らかであるから、この点も考慮し、その他前認定にかかる事情を参酌すれば、控訴人等を売渡の相手方と定めることの当否はともあれ、被告人等に対する売渡計画が存在しなかつたものとは断定することができない。以上の認定に反する原審及び当審証人野中和郎、当審証人原田勘次郎の各証言は採用し難く、他に以上の認定を左右するに足りる証拠はない。従つて本件農地売渡については農地売渡計画を欠除する旨の被控訴人等の主張は理由がない。

被控訴人等は、右農地売渡処分は、売渡の相手方を誤つてなされた違法があるから無効であると主張する。本件農地売渡処分当時施行されていた自作農創設特別措置法第十六条によれば、政府が同法第三条の規定により買収した農地は、その買収の時期において当該農地に就き耕作の業務を営む小作農その他命令で定める者で自作農として農業に精進する見込のあるものに売渡すべきものと定められ、同法施行令第十七条の規定によれば、同法第三条第一項の規定により買収した農地の売渡の相手方として第一順位に在る者は買収の時期において当該農地に就き耕作の業務を営む小作農―買収の時期において耕作の業務を営む小作農が当該時期以後において当該農地についての賃借権を譲渡した場合は当該権利の譲渡を受けた者―となつており、そうして本件各農地が同法第三条第一項の規定により不在地主木名瀬清之介から政府を買収したものであること及びその買収の時期は昭和二十三年三月二日であつたことは当事者間に争がないので、右買収の時期において右農地に就き耕作の業務を営んでいた小作農について考えて見ると、成立に争のない甲第二号証、丙第二、第五号証、同第十号証の二から五まで、同第十二号証の二、同第十四号証及び当審証人石井なかの証言を総合すれば、本件農地(昭和二十五年三月十五日本件のように四筆に分筆される前は同所六百九十二番の四、畑六反九畝二十七歩となつていた。)は多年参加人石井庄之介が所有者木名瀬清之介から賃借して耕作して来た小作地であつたが、庄之介の居宅より距離が遠く耕作に不便であつたので、昭和二十三年二月頃附近に耕作地のあつた参加人石井清と耕作地を交換することを約したところ(ただしこの交換につき村農地委員会の承認があつたことを認めることのできる証拠はない)、石井清において交換契約を実行せず庄之介の右旧耕作地を清自身の従前の耕作地と併せて自ら耕作しようとする態度が見えたので、庄之介はこれを快しとせず、本訴農地に当する清の耕作を阻止するため同年三月十日居村白河村農地委員会に本件耕作地の耕作権放棄の承認を求める旨申出で、地主木名瀬清之介においてもその頃これを承認し、右農地の賃貸借を解約した(ただし、解約につき知事の許可がなかつたため法律上の効力は生ずるに至らなかつた。)、かような事情で庄之介においては、本件農地の買収の時期である昭和二十三年三月二日当時においては、将来も引続いてこれを耕作することになるか否かはつきりせず、右農地につき同法第十七条の規定による買受の申込もしていなかつたことが認められ、このような状況の下では、石井庄之介が買収の時期である同年三月二日当時本件農地に就き耕作の業務を営む小作農であつたこと及び同人が右農地の買受の申込をしなかつたのは、当該農地についての耕作をしないつもりに出でたものではなかつたことを行政庁において認定しようとしても、その事実関係には頗る明確を欠くものがあつたものとしなければならない。(前示丙第十号証の四によれば、石井清は同年四月中旬頃本件農地に馬鈴薯を植付けたことが認められる。この事実は当時右農地に麦、菜種その他の冬作物が栽植されていないかつたことを推認させるに足るものであり、従つて石井庄之介が右農地をその買収の時期である同年三月二日当時においては現実に耕作のため使用していなかつたことはこの点からも推認することができる。又、農地賃貸借の解約又は農地賃借権の交換移動につき行政庁の許可又は承認がないため従前の賃借権がそのまま存続しているということから当然賃借権者がその農地につき耕作の業務を営んでいるということにはならない。)従つて石井庄之介を右買収農地の第一順位の売渡の相手方としなかつた点について、関係行政庁の処分にこれを無効ならしめるような重大かつ明白なかしがあつたものとは認め難い。

右のように、第一順位の売渡の相手方として法定された者が当該農地について現実に存在しないときの次順位の売渡の相手方については、当時施行されていた自作農創設特別措置法施行令第十八条の規定によれば、同法第三条の規定により買収した農地につき農地売渡計画を定める時期において耕作の業務を営む小作農(その者は同法第十六条第一項の規定によれば自作農として農業に精進する見込のある者でなければならない。)、もしその者もなきときは、市町村農地委員会において自作農として農業に精進する見込のある者と認める者を当該農地の売渡の相手方とすべきものと定められていたところ、成立に争のない丙第八号証の一から三まで、同第九号証の一、二及び原審証人山本誠及び当審証人八文字豊の各証言を総合すれば、前記のように石井庄之介との間の本件農地の賃貸借を解約した木名瀬清之介は、昭和二十三年四月一日右農地を控訴人八文字せつに賃貸し、同控訴人は同年六月一日その一部の賃借権を控訴人山田秋満、同八文字健三に譲渡し、いずれも居村農地委員会の承認(当時の農地調整法第四条、同法施行令第二条第二項による。)を受け、右控訴人等三名でこれを耕作し控訴人高橋覚義もまたこれを耕作していたこと及び本件農地につき売渡計画の定められた昭和二十三年六月二十八日当時においては、控訴人等はいずれも農業に従事し、耕作面積が少い関係上他に副業を持つていた者もあるけれども農業を営まない者ではなかつたことが認められ、右認定に反する当審証人原田勘次郎の証言は採用し難く、これらの控訴人を関係行政庁において自作農として農業に精進する見込のある者と認めた点については、この認定に基く売渡処分を無効としなければならない程度に達する重大かつ明白なかしがあることを認めることはできない。

控訴人山田秋義が現存横浜市に転住し農業に従事していないことは控訴人等の自認するところであるけれども、同控訴人は前認定のように昭和二十三年六月一日控訴人八文字せつから本件農地の一約の賃借権の譲渡を受けこれを耕作していた者であり、成立に争のない丙第二十三号証によれば、その後石井庄之介が同控訴人等に対し本件農地の明渡を求める訴訟を提起し、これを本案としていわゆる断行の仮処分決定を得て昭和二十三年十月二十六日その執行をした結果、同控訴人は爾来右農地の耕作をすることができなくなつたものと認められるので、同控訴人が現在農業に従事していないことは本件農地売渡計画の定められた当時において同控訴人が自作農に精進する見込のある者であつたことを否定する根拠とはならない。

以上のとおりで石井庄之介を売渡の相手方とせず控訴人等を売渡の相手方と定めた本件農地売渡処分には、これを無効としなければならないような重大かつ明白なかしの存在することが認められないから、昭和二十六年三月十九日被控訴人知事のなした農地売渡取消通知は本来無効な農地売渡処分につき単にその無効なことを通知したものに過ぎないという被控訴人等の主張は理由がない。

なお右のように本件農地売渡取消通知が単なる無効の通知に過ぎないとは認められないとしても、これをかしのある売渡処分の取消処分と認めることができないか否かについて一言する。これまでの説示においては、石井庄之介が本件農地の買収の時期において右農地に就き耕作の業務を営む小作農であつたか否かの点は確定せず、仮に同人がこれに該当するものであつたとしても本件農地売渡処分にはこれを無効としなければならないような重大かつ明白なかしは存しなかつたことを判断したものであつたが、本件に現れた各証拠を通観すると、石井庄之介が本件農地を石井清と交換することを約したのはその農業経営の実質を改善するためであつて、いわゆる惰農の単なる耕作放棄とは趣を異にし、かつ前記買収の時期においては石井清はまた現実には本件農地の耕作を開始していなかつたことが認められたるので、たとえ当時事実関係が明確を欠いていたとはいえなお石井庄之介を右買収の時期において本件農地につき耕作の業務を営んでいた小作農であつたものと認定することが不可能であるともいえず、もし仮にそのように認定することができるとすれば、本件農地売渡処分は石井庄之介を売渡の相手方と定めなかつた点においてかしを包蔵することになり、このようなかしのある行政処分は、たとえこれによつて新たな権利関係が創設された後であつても、この新たな権利関係を覆滅させてまでなおこれを取消さなければならないような公益上の特段の必要がある場合には処分庁自ら事後にこれを取消すことができるのが原則である。ただ新たな権利関係が創設されて後相当の年月を経過したような場合には、これを取消すための公益上の必要は特に厳格に解されなければならないところ、本件においては被控訴人知事が控訴人等に対する売渡処分の取消の通知をしたのは処分後約三年を経過した後である。しかしながら本件にあつては、石井庄之介はそのなした耕作権放棄の承認の申出は錯誤によるものであり、本件農地の耕作権はなお自己に在ることを主張して昭和二十三年中行政庁及び控訴人山田秋義、同八文字健三、同八文字せつ三名を相手に自己の農地賃借権に基いて耕作権放棄承認の行政処分の無効確認の行政訴訟及び右控訴人三名の耕作権不存在の確認及び農地明渡の民事訴訟を提起し、右民事訴訟を本案とするいわゆる断行の仮処分を得て同年十月二十六日これを執行し右控訴人三名から本件農地の返還を受けて爾来石井庄之介においてこれを耕作し、同人の提起した各訴訟は昭和二十五年中いずれも同人勝訴の判決言渡があり、これに対し右控訴人三名の提起した控訴、上告はいずれも棄却されて昭和二十九年三月十九日上告棄却の判決言渡により右石井庄之介の請求の理由あることが確定していることが前掲証拠上認められる。そうして本件農地売渡の取消の通知は右第一審判決言渡後一年内に発せられたものであつてそれは第一審判決の示す権利関係の内容に略一致するものであり、その内容は右のようにその後そのまま確定したものであり、しかもそれはすでに昭和二十三年中仮処分の執行により仮に形成されていた本件農地の耕作の事実関係にも適合するように認められそうである。果してそのように認められるとすれば、本件農地売渡処分により新たに形成された権利関係それ自体がその基礎となる法律関係において係争中であるため不安定なものであり、これをその実質に即応させるために右農地売渡処分を取消したものとすればその処分が売渡後約三年を経過していたという年月の経過はそれほど既存の権利関係に無用の混乱を起すものともいえないかも知れず、もしそのように解することができるならば、本件農地売渡取消通知は、売渡処分のかしを理由として行政庁自らこれを取消した処分としてその効力を肯定する余地があるのかも知れない。しかし、この点は被控訴人等は当裁判所の釈明に対し、本件農地売渡処分にこれを無効とするに足りない程度のかしがあつたのでこれを理由として処分庁自ら右売渡処分を取消したものであること及び新たな権利関係発生後処分庁自ら右処分を取消さなければならないような公益上の必要があつたことはいずれもこれを主張しないと述べているので、この点については判断を進めることはできない。

被控訴人等は次に、本件売渡通知処分はその前提となつた茨城県農地委員会の農地売渡計画の承認が取消されたから違法となつたと主張するけれども、県農地委員会の承認の取消事由については前記のように農地売渡が無効であることを述べているほかには、なんら特段の事由を主張するところがないのみならず、農地売渡計画の承認は売渡処分の適正を期するため法律が特に定めた行政部内の手続であつて、これを経ることは知事が売渡処分をなす要件ではあるが、承認を取消すことによつて売渡を阻止することができるのは承認に基く売渡処分がなされるまでの間に限られ、承認に基く売渡処分がなされた後は、もはや承認を取消すことによつて売渡の効力を左右する余地はない。もし承認の手続又は内容が法令に違反するときは延いて知事の売渡通知処分が違法となり、売渡処分そのものの取消の事由となることがあり得るけれども、その場合は売渡処分そのものを取消すべきであつて売渡計画の承認を取消し、それが取消されたことを唯一の理由として売渡処分を取消すということは許されないものといわなければならない。従つて右承認が取消されたという形式上の理由でその他の点についての売渡処分の合法性のいかんを問わず売渡処分は違法となつたものであるという被控訴人等の主張は、果して県農地委員会の承認が真実取消された否かについての判断をなすまでもなく、これを採用するに由ないものである。

以上のように本件農地売渡処分については被控訴人等主張の無効事由は認められず又被控訴人等主張のような事由ではこれを取消すことができないものであるから、その後処分庁である被控訴人知事自らこれを取消した本訴売渡通知取消処分は違法であり、その取消を求める控訴人等の請求は理由がある。よつてこれを棄却した原判決は失当として民事訴訟法第三百八十六条に従いこれを取消すべく、訴訟の総費用の負担につき同法第九十六条、第九十四条、第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 川喜多正時 小沢文雄 位野木益雄)

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